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秋の湖北ハイキング [旅行・鉄道]

湖北、賤ヶ岳421.9M(しずがたけ)から山本山城跡へハイキングに行って来ました。来年の大河ドラマ「山内一豊の妻ー巧妙が辻」の主人公、山内一豊が武将としての足がかりを築いたのがこの近江の国です。
参考ページ→ http://www.biwako-visitors.jp/taiga/

今日は画像がいっぱいあります。画像が開かなかったり重かったりしたらゴメンナサイ。コメント欄にお願いします。



JR京都駅を8:05に出発して木ノ本駅には9時半頃に到着。
乗車券1450円(京都駅→木ノ本駅)

本日の降水確率は午前午後共に30%。
なのに、写真を撮ろうとするといきなり通り雨。
すっきりしないお天気の一日でした。






ちょうど「北びわこで秋遊び」というイベントを開催中です。
10月、11月中の土日を中心に湖北エリアの周遊スポットを巡回するバスが運行されていました。
一日中バスが乗り放題で300円でした。
私たちが周遊したのは「初秋と深秋の湖北路周遊コース」ですが、他にも「秋浪漫・歴史と温泉満喫コース」、「錦秋の奥びわこ&竹生島コース」、「余呉の秋色体験コース」などがあります。

 










バスには湖北町観光協会ボランティアリーガイドが同乗されていて、地域の観光名所や歴史について説明してくださいます。
私たちは一駅しか乗らなかったのですが、もっと乗って説明を聞いていたかったと思いました。









JR木ノ本駅から巡回バスで一駅、約6分で賤ヶ岳登山口に到着しました。そこから300メートルほどあるくと頂上行きのリフト乗り場に到着です。
リフト代400円(一日乗車券を持っている場合は320円です)
山頂までは歩いて登ることも可能です。約1.5キロの距離です。












リフトを降りて300メートルほど歩くと賤ヶ岳山頂に着きます。
左手には奥びわこの眺望が。
山肌に沿うようにして道が通っていますが、ここをハーレーで通ると最高です。
桜の名所でもあるので来年は桜見物に来ようと思っています。







右手には余呉湖が見えます。
余呉湖はいつみても寂しげな雰囲気です。
この右手奥は、ハーレーに乗ってBBQに行った渓流があるあたりです。










さて、いよいよハイキング開始です。
賤ヶ岳から山本山へ向かう約8キロのトレイルの始まりです。
進行方向右手の眼下にはびわこが見えます。
所々急なアップダウンがありましたが、だいたいこんな感じでした。

山本山と山本山海苔との関係・・・社長がここの出身!?とかいろんな噂が飛び交いましたが、真相はわかりません。みんな疑問に思ってたようです。










踏むのがもったいないくらいの色とりどりの紅葉のカーペットです。












途中、昼食を食べて2時半頃に山本山山頂に到着しました。
左にぽつんと浮かぶのが竹生島です。
右側の半島はつづら尾崎です。
手前の琵琶湖沿いにさざなみ街道が走っています。
そうです、この道は私が毎週のようにハーレーで走っていた道です。季節毎に味が変わるソフトクリームが食べられる、道の駅「湖北みずどりステーション」が見えていました(涙)




下山間際になってやっと雨も止みました。
ところどころに紅葉が見られます。
あと二週間もすれば全山キレイに紅葉しますね。










山本山登山口の横にある朝日神社。










山本山登山口から巡回バスにのって約8分、JR北陸線 河毛駅へ到着です。












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賤ヶ岳の合戦

山崎の戦いで明智光秀を討った羽柴秀吉は、織田家中で大きな発言権を握っていくが、これに反感を募らせる武将も多く、その旗頭は柴田勝家であった。秀吉は勝家の攻撃の機会を狙っていた。勝家は天正11年(1583年)4月、北近江に出陣した。同月20日、大岩山砦の秀吉方中川清秀が柴田方の佐久間盛政に討たれた。大垣でこの報を受けた秀吉は、好機到来とばかり、木之本へ急行させ、意気あがる盛政を賤ヶ岳で襲った。盛政は敗れ、勝家軍も総くずれとなって北ノ庄城へ逃げ帰った。勝家が自刀したのは、その三日後である。この賤ヶ岳の勝利で、秀吉は名実ともに天下人への道を独走していった。

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賤ヶ岳七本槍

この戦いで秀吉の武勲者として、史上に名をとどめた「賤ヶ岳の七本槍」とよばれる七人衆がいた。大岩山にとどまっていた佐久間盛政の部隊が退却を開始したのを知り、秀吉の旗下七人衆が、どっと斬りこみ一番槍の功をたてたのである。福島正則を隊長として、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、糟野武則の若武者たちであった。

滋賀県木之本町観光information

周辺地図


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