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Harley Davidsonへの道程 [Harley-Davidson XL883R]

誕生日の前日、4月9日にHarley Davidsonのバイクが届き、箱開けをした話は前記事に書いたのですが、納車までにまだ少し時間がかかります。毎日指折り数えて待っているところです。
Harley Davidsonのバイクは箱開けと納車で二度楽しめるってわけです。


納車の前に、40代の女性がどうして大型二輪に?しかも何でHarleyのバイクなん?って話を、私とHarley Davidsonのバイクとの出会いから書いていきたいと思います。


1.Harley Davidsonのバイクとの出会い
学生時代からアメリカにはよく行ってたので、Harley Davidsonのバイクはしょっちゅう見てました。
カッコいいな〜って思っていましたが、大きいし、しかも車ですらオートマ車しか乗れない私、クラッチ付きのバイクは絶対に無理〜って思ってました。
1995年の年末から1996年の年始にかけてアメリカ、フロリダのオーランドに旅行したとき、たくさんのHarley Davidsonのライダーを見かけました。それも若者ではなく、おっちゃん、おばちゃんのライダーです。みんな一生懸命に仕事をして、かつ趣味のバイクも楽しんでいる。これってまさに私の理想の姿でした。でもその時点ではHarley Davidsonのバイクは憧れだけの存在で、自分と結びつけることはできませんでした。

2.Barbie人形とHarley Davidsonのバイク
ある時、たぶん海外のアマゾンのサイトだったと思うのですが、大好きなBarbie人形にHarley Davidsonのシリーズがあるのを知りました。
早速
Barbie人形のHPを見てはいろんなシリーズがあるのを知り欲しいな〜って思ってました。
いつか会えるかも知れないと思い、プリントアウトした画像は憧れのSportsterの写真と一緒にエルメスの手帳に挟んでいつも持ち歩いていました。
 


3.募る思い
2001年にアメリカに行った時の事です。友人達のおみやげを買いに立ち寄った
toysrusで息子が一言、 
「お母さんの欲しいん売ってんで!」
って「ええ〜っ」って感じで。

トイザらスの店頭で☆
そこには私の憧れHarley Davidsonの衣装を着たbarbieとその横にはFat Boyのレプリカが・・・
重いとかかさばるとかそんな事はどうでもいいんです。もちろんどうやって日本に持って帰るなんて事も頭にはありませんでした。ただ、欲しい!それだけ。
パッキングには気を遣いました。何重にも段ボールに包み、周りを緩衝剤の代わりに息子のTシャツでくるみました。
  
2000年バージョンのBarbie、箱の裏のKENはかなりアウトローっぽい感じ。FAT BOYのレプリカ
  
頭にはグラサン、首にはHDマークのバンダナ、ロゴ入り革ジャンはもちろん、インナーのタンクトップも手を抜いてません。ボトムの革パンにはロゴ入りチェーンベルト、手にはロゴ入りのリュック。足下はお約束のロングブーツです。メットもロゴ入りです。

アメリカのHDショップに行ってHDマークの入ったジャケットや手袋、タンクトップを見つけるとついつい買ってしまいます。ついには分厚いカスタムパーツの本までもらってきて、自分が乗るならこういうパーツでカスタマイズしたい・・・なんて空想にふけるようになりました。友人からは、後ないのはバイクだけやねって失笑を買う羽目に。

4.挑戦そして苦い経験
毎日Harley Davidson Barbieやグッズを眺めてはいいな〜私もこんな風になりたいな〜とため息。もしHarleyに乗るとしたら年齢的にも最後のチャンスだなと焦りを感じ始めていました。そんな時にたまたま知り合った方がHOGのメンバーでバイク狂。その方の紹介で教習所に通うことになりました。一歩前進です。初めは普通二輪から挑戦です2003年の12月の事でした。
教習所では散々でした。若い教官には年齢を重ねたものがどんな思いで教習所に通っているかなどはわからないのでしょう。理解しようとも思ってないのは数々の不用意な発言からありありとわかりました。クラッチのつながる位置がわからずレバーを握ったり離したりしてると「適当にやってる」。極めつけは平均台から落ちた時。「そら落ちるわ」って10回も言われちゃいました。


平均台を一発で通れるような実力があるんだったら教習所なんて来ません。出来ないから来てるんじゃありませんか。
余程叫んでやろうと思いましたが、そこは年の功。実はその後に卒検を予定してたのですが、涙涙でそれどころではありませんでした。もうやめて帰ろうとしていた私を引き留めてくれたのは受付の女の子でした。そんなこんなで結局、その日の卒検は無事受かりました。
12月の師走と言えば主婦が最も忙しい時期です、フルタイムで働く私は仕事の後、教習所通いをしていたのですが、仕事でかなり頭を使い、その後の教習所通いは精神的にかなりしんどいものでした。その教訓を得て、大型二輪の教習は土日の週末を利用して通いました。折しも1月2月は息子の高校受験のシーズンです。一年で最も寒い時期だし、かじかんだ手で大型二輪(CB750)の固いクラッチ操作は無理なので教習は4月までお休みしました。


春になって大型二輪の教習をスタートさせました。普通二輪の時は最初スムーズに教習がすすんだため、卒検の時期になってクリアできてない項目が山積みで苦労しました。その教訓を生かして大型二輪の教習は慎重に進めました第一段階も人の三倍ぐらい乗り、急制動、スラロームは得意中の得意になりました。ただ、クランクでは入り口で左指示器、出口で右指示器、つまりクランクの途中でハンクラのまま指示器を切り替えることになります。左手でクラッチレバーを握りながらの指示器切り替えには苦労をしました(手にマメは出来るし、親指は攣りそうになる)。油断するとすぐにクラッチレバーを離してしまい→エンスト→推進力を失ったバイクはすぐに転けます。(ハーレーのバイクは指示器がハンドルの左右についてるので)ハーレーなら右の指示器は右手で操作するし、こんな苦労はしなくてもいいのに・・・どうせ私はハーレーに乗るんだから堪忍してよってって言っても教習は教習。クリアしなければならないのでした。第二段階もゆっくりペース。そして梅雨の晴れ間の6月25日。もうこの日を逃せば二度とないような検定日和。今日しかないなって思って受けた卒検に一発で合格することができました(実力では受かってなかったと思います。けれどもがんばってた私の気持ちが検定員の心を動かしたんだと思います)

5.難関
免許は無事に取得したもののバイクを取得するために、私には越えなければならない難関がありました。
そればバイク置き場の問題。うちはマンションに住んでいるため、置き場に制限があります。原付ならマンションの敷地外に雨ざらしで放置することも出来ますが、HDのバイクは盗難の危険性もあります。免許を取る前から置き場が確保できるまでは買えないことはわかっていました。管理組合の規定で400CC以上のバイクは2区画を借りなければありません。管理人さんの話ではどれぐらいであくかは予想がつかないとのこと。分譲マンションのため、そんなに人の出入りがないので1年で空くかも知れないけど、5年かかるかも知れない。一度確保されたバイク置き場は、引っ越しなど余程のことがない限り解約をされないからです。バイク置き場に放置されたボロボロの蜘蛛の巣だらけの原チャを見て、「廃車の手続きお手伝いしましょうか?」って直談判に行こうかと思ったくらいです。

6. 春の兆し
諦めかけてた頃、今年になってから管理人さんからひょっとしてバイク置き場が空くかも知れないとのお知らせが。その上、HarleyのHPをチェックしてたら、以前のモデルで今はもうなかったオレンジとブラックのチェッカーフラッグ柄の883Rが3月1日に発売されると知りました。そして販売店さんのすすめで3月19日に大阪で開催された
ハーレーダビッドソンアメリカンワールドフェスタに行き、めでたく契約となりました。アメリカンワールドフェスタの件は別記事に書いています http://blog.so-net.ne.jp/barbie/2005-03-20 

すべてクリアしたかのようですが、実はまだ両親に話していないのです。両親もバイクに乗らない人たちなので説明をしてもなかなかわかってもらえません。きっと私がバイクに乗ってると知ったらそれだけで、夜も眠れないほど心配をかけると思うのです。しばらくは黙っておいて無事故無違反・・・3年ぐらい経ったら話そうと思っています。40すぎても娘は娘。両親は心配で仕方がないようです。

 




 



 
自宅のパソコンも職場のMACもスクリーンセイバーはHD。好きだから一日一緒にいたいんです。

追記:この後4月27日に無事、納車を迎えました。
納車キットやHOG(ハーレーダビッドソンオーナーズグループ)のキットにもお楽しみがいっぱい。2005年はあちこちの名所にハーレーで行ってABCツーリングポイントは23ポイント集めることができました。春には景品が送られてくる予定。今から楽しみです。

次なる目標はアメリカ縦断。これから先の10年後には実現できてるでしょうか。まずは車の運転が慣れてるハワイ島あたりで乗りたいと思っています。


 



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